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3分間ドラッカー【第8回】 カリスマ性は不要 必要なのはリーダーシップClipped from: http://diamond.jp/articles/-/2150 |
「新しい現実を踏まえた政治のモットーは、カリスマを警戒せよでなければならない」(『新しい現実』)
ドラッカーは、20世紀ほどカリスマ的なリーダーに恵まれた世紀はなかったという。その代表格が4人の巨大なカリスマ、ヒトラー、レーニン、スターリン、毛沢東だった。
そもそもカリスマは唯一無二とする万能薬まがいのプログラムを手にしない限り、なにもできない。それら万能薬を強制するうえで力を発揮できるにすぎないからである。
ところが、いまやそのようなプログラムが存在しない。したがってカリスマ的リーダーはまったく不要である。リーダーシップは必要である。しかしそれは、今日リーダーシップと名づけられ喧伝されているものとは違う。それはいわゆるリーダー的資質とは関係ない。カリスマ性とはさらに関係ない。
リーダーシップにはいささかの神秘性もない。それは平凡で退屈なものである。
リンカーンほどカリスマ性のない人物はいなかった。チャーチルにもカリスマ性はなかった。
それどころかカリスマ性はリーダーたらんとする者を破滅させる。ほかならぬそのカリスマ性が、自らの不滅性を妄信させ、柔軟性を奪い、変化不能とするからである。「リーダーシップの本質は行動にある。リーダーシップそれ自体はよいものでも望ましいものでもない。それは手段である」(『未来企業』)
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カリスマ性なるものは新規事業開発を阻害する。カリスマが立ち上げてきた事業を否定することになりかねない新規事業開発を提案、推進するということに大変な勇気を求められるからである。
いや、わが社にそんなカリスマ性を持ったリーダーなどいないという声が聞こえてきそうな気がする。
しかし....われわれは無意識のうちに、カリスマ性らしきものの呪縛にとらわれていないだろうか。
それをふり切って、新規事業開発に挑む者が出てこなくてはならない。そういう者が出てきたら、その者が提起している内容は実現性があるのか、何かを変えれば、実現性が出てくるのか。そういう目で見て、手をさしのべなくてはならない。そうしていかなくては、新規事業は生まれてこない。そうしなくては、会社が10年後には存在しなくなるという危機的状況にあるという時代認識を持つべきである。
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