Oct 3, 2010

3分間ドラッカー【第203回】広く理解されて行動の基盤となってこそ知識と言える

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3分間ドラッカー【第203回】広く理解されて行動の基盤となってこそ知識と言える

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 「今後とも、物理学では、専門化が王道であり続けるだろう。しかし他の多くの分野では、専門化は、今後ますます、知識を習得するうえで障害となっていく」(『新しい現実』)

 学問の世界では、書かれたもの、すなわち論文を知識と定義する。それどころか、その論文の書き方までをとやかくいう。そのくせ、まるで理解不能な文章があっても平気である。

 ドラッカーは、そのようなものは知識ではないし、知識とはいかなるかかわりもないと怒る。それらはデータにすぎない。

 知識とは、行動の基盤となるべきものである。人や組織をして、なんらかの成果をもたらす行動を可能にするものである。なにかを、あるいは誰かを、変えるべきものである。

 そもそも、理解されることが学識ある者の責務である、という昔からの原則が忘れられてしまった。行動の基盤であるということならば、広く理解されることなくして、知識とは言えない。

 ドラッカーは、問題は今日学界の専門家たちの学識が、急速に知識ではなくなっていることにあるという。それらのものは、データにすぎず、せいぜいが専門知識にすぎない。世の中を変える力を失ってしまっている。

 「過去200年間にわたって知識を生み出してきた学問の体系と方法が、少なくとも自然科学以外の分野では非生産的となっている。学際的な研究の急速な進展が、このことを示している」(『新しい現実』)

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学際的な研究の急速な進展がもたらしているもの。

これと同じ姿が、われわれの企業活動にも現実のものとなっている。新規事業を興すに当たっても、単純な技術の事業化では事業シナリオを描けなくなっている。それを使って、世の中にいなかるベネフィットをもたらすのか。それを実現するために、何と何を組み合わせればよいのか。それはどのようにすれば実現できるのか。これらの問いが複雑さを増している。それが加速しているように思えてならない。

大変ではあるが、飽きることのない時代を迎えている。

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