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3分間ドラッカー 【第211回】教師の生産性を上げるには学ばせるための監督よりも教えるための時間を与えよClipped from: http://diamond.jp/articles/-/9429 |
「教師は教えているのではない。学ぶことを監督しているにすぎない」(ドラッカー名著集(7)『断絶の時代』)
教わることとは、意味と理解にかかわることである。ドラッカーは、教わることと学ぶことを峻別して考えている。
教わることは、知力よりも知覚にかかわることである。それは模範によって示される。ここにおいてこそ、教師が必要とされる。学ぶことが、ドリルの学習によって身につける自己完結的なプロセスであるのに対し、教わることは教師との相互的なプロセスである。
優れた教師であれば、学ぶことの妨げにはならない。われわれがよい先生としているのが、この手の人たちである。しかし、彼らでさえ、本来は教えるために使うべき時間を浪費している。
学ぶためのプログラムが開発されていない。われわれは、生徒が欲しているもの、すなわち学ぶために必要な道具を与えていない。その結果、教師に行なうべきことを行なわせられないでいる。
教師は教えようとしている。だが実際には、彼らのほとんどが教えているのではなく、学ばせるための監督をしているにすぎない。
必要なのは、教師が教えることに集中できるようにすることである。それがオックスフォード大学の個人指導制である。だが、18歳からでは遅い。そこで、ドラッカーは、学びのプログラムとしてeラーニングの発展に期待する。
「教師の生産性を上げるには、彼らに教える時間を与えなければならない」(『断絶の時代』)
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昨晩、ハーバード白熱教室 @東京大学をみた。
マイケル・サンデル教授の学生とのやり取りを見て、舌を巻いた。質問が的確なのだ。学生に自分の考えを述べさせ、それに対して、鋭い質問を返して、さらに議論を発展させていく。この間、教授は質問を発することにほとんど集中している。
サンデル教授は「学ぶためのプログラム」を用意して、その上でこれだけのことをしているのであろう。でなければ、これだけのことができるはずはないだろう。
ひるがえって、新規事業開発における「学ぶためのプログラム」をいかに構築すればよいのだろうか。
>教わることは、知力よりも知覚にかかわることである。それは模範によって示される
まず、自らが模範を示せるようになることということだろう。そして、知覚に訴える訴求力が必要なのだろう。
>われわれは、生徒が欲しているもの、すなわち学ぶために必要な道具を与えていない。
新規事業開発にこれから従事する者が身につけるべき体系、知識、道具を提供することが必要であるのだが、それをどうやって提供するのか。知力と知覚を総動員していくことが求められるのが新規事業開発である。それをどうやって、基本体系の習得を支援すればよいのか。今後の課題である。
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