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3分間ドラッカー【第6回】自由の代価として何をしたいかを問われているClipped from: http://diamond.jp/articles/-/1172 |
「選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである。多元社会は一人ひとりの人間に対し、自分は何か、何をしたらよいか、自分を使って何をしたいかを問うことを求める。この問いは就職上の選択の問題に見えながら、実は自らの実存にかかわる問題である」(『断絶の時代』)
自分が得意とするものが何かはまだわからない。それどころか、自分の「値打ちがある」とするものが何かさえ、まだわからない。
ほとんどの人が親の後を継いで農民になる以外になかった時代は、ついこの前のことである。しかし、いまや選択肢は無数にある。
だから就職に悩む。しばしフリーターともなる。その間に、せっかく身に付けた知識が陳腐化するという悲劇も起こる。
ドラッカーによれば、17世紀にデカルトが精神の実存を無視して以来、西洋では、いかにして人間の実存は可能かではなく、いかにして社会の存在は可能かが問われてきた。こうしてこの2世紀の間、世の関心は社会に向けられてきた。
「今日ふたたびわれわれは、昔からの問いである一人ひとりの人間の意味、目的、自由という根源的な問題に直面している。世界中の若者に見られる疎外の問題が、この問いに答えるべきことを迫っている。組織社会が、選択の機会を与えることによって、一人ひとりの人間に意思決定を迫る。自由の代価として責任を求める」(『断絶の時代』)
企業が個人に成長の機会を与える材料はいくつもある。その中にあって、新規事業なるものは「自由の代価としての責任」を求められるものであると思う。
新規事業立上げに従事するということは既存組織の指揮系統から外れたところで行動することになる。これはある意味、自由を意味する。しかし、自由の代価として、自分で責任を取らなくてはならない。既存事業であれば、上位者が、関係する部門の人々がチェック機能をはたらかせてくれる。だが、新規事業にはそれがない。自分でわからないこと、相談しなくてはならないことを見出し、自分からはたらきかけることが求められる。一方で、これは意欲ある若者にとっては成長の機会でもある。われわれは意欲ある若者のための成長機会を作らなくてはならない。
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